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大本山永平寺が選んだ唯一の味噌

 

 



味噌作りの原点

慶長・元和の頃、武士だった多田善右得御門景連が福井城下で米と藩札を扱ったのが米五の源流です。天保2年(1831年)には城下町福井で味噌造りを始めて以来190年余り、空襲や震災、水害などの幾多の困難を乗りこえ、現在まで味噌作り一筋に歴史と伝統を守り続けています。また、昭和45年には曹洞宗大本山永平寺の味噌蔵をあずかり、昭和54年には770余年の歴史を誇る永平寺の僧侶の日々の食を支える重要な食材「味噌」の御用達店としての命を授かりました。

 

 

曹洞宗大本山「永平寺」と日本の食

『曹洞宗大本山永平寺』は1244年(鎌倉時代)に永平道元により開創された、日本の禅宗の一つ曹洞宗の中心寺院の一つです。今や世界的に有名な坐禅修行の場、永平寺では、開祖である道元禅師が残した「永平清規(えいへいしんぎ)の中で1237年に記した「典座(てんぞ)教訓」の精神に準じて修行僧や参籠者達の食事が作られています。 典座とは、禅宗寺院で修行僧の食事、仏や祖師への料理を管理する(シェフのような)役のことです。重要な役職とされ、道元禅師が修行の為中国「宋」に渡った際出会った「炊飯も大事な修行の一つである」という修行の一つの本質に覚醒した、二人の老僧から学んだエピソードが残されています。当時の日本は野菜、魚や鳥を煮たり焼いたりし、塩や醤(ひしおー醤油の原型)と穀類などで食べていたようです。炊事係は飯炊き、権助などと軽んじられがちでしたが、典座の教えと共に中国の料理の文化が持ち込まれ、のちに日本での精進料理、さらには和食の文化形成に繋がって行ったとされています。

また、永平寺では数多くの禅宗の修行が行われており、修行僧は「雲水(うんすい)」と呼ばれ、肉や魚類を口にしない修行中、味噌は彼らにとって非常に重要なタンパク源、塩分補給などの役割を果たしています。特に温かい味噌汁は零下の寒い冬には、気持ちを支える非常に大切な食事となっているそうです。


 

塩と大豆と米麹の3つの素材が奏でるハーモニー
 

米五では、味噌作りに3つの原材料を使用しています。それは、塩、大豆、米糀です。それ以外のものは一切入れません。さらに、素材一つひとつにも妥協せず、原産地や流通経路などを確認した国内産の原料を使うことはもちろん、時には産地まで足を運び、農家さんの生産方法や熱い思いに納得、共感した上で、直接契約しています。現在のように食の安全・安心が注目されるずっと前から一級みそ製造技能士の資格を保持する職人自らが豊富な経験や職人の勘と確かな技術で、原材料の品質管理を徹底しています。こうした素材や製法へのこだわりと精魂込めて味噌作りに取り組む職人たちの情熱や地道な努力、そして米五の蔵に長年生き続ける酵母菌が三位一体となって生み出す究極の味わいこそ米五にしかできません。
 

米五の蔵に住む酵母菌

 

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昔から味噌を製造する味噌屋の古い蔵には、「蔵ぐせ」と呼ばれる、その蔵独自に住み着いている菌があると言われています。その蔵の床、壁、天井や柱などあらゆる場所に、長年生き抜いてきた酵母菌が息づいています。その独自の蔵ぐせを守るため、職人たちは代々蔵の掃除と管理を徹底してきました。天然熟成を主とする米五では蔵内の温度差や湿度差から違いが生まれる発酵の進み具合を把握し、美味しい味噌が造りあげられる環境を整えるのも大切な仕事です。
味噌作りに直接関わる職人だけではなく、米五の全社員が持つ共通理念「お客様に美味しい味噌と満足感をお届けする」という信念は揺らぐことなく受け継がれています。



味噌の種類

粒味噌

擦り味噌

 



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